三匹のネコが一匹になるまでの物語
2015年3月。
当時パートナーだった今の妻と引っ越した新しい家に、新しい家族が増えました。
当時一歳のはちわれネコの兄弟。
保護猫カフェでは「ベス」と「ペレ」と呼ばれていたネコは、
薄墨のような色から連想した「鈍」と「硯」と名付けられました。
二匹は双子の兄弟で、喧嘩をすることなく、まだいろいろと整っていない部屋で暮らしていました。
受け入れ初日には、硯がテレビ台の下に入り、コードに絡まって大暴れしたこともありました。(その日のうちに簀の子を買ってきて塞いだ)
鈍は硯と双子とは思えないほど体が小さく、粗相癖(後述)がありました。
硯はおっとりとしたビビり性格で、いつも積極的で前に出る鈍の後ろにくっついています。
なので、鈍を長兄、硯を次兄として生活を始めました。
人もネコも大好き!そして僕はかわいいでしょ?っていう感じの鈍。
家への帰属意識が高いけど、人に付くのは少し苦手。ちょっとの物音で飛び退く硯。
性格は全然違う二匹と暮らして半年。
そのネコはやってきました。
半長毛の黒錆柄。
耳の前側に、まっすぐ伸びたウーパールーパーのような毛がチャームポイント。
三姉妹なのにいつも独りぼっち(他のサバトラ二匹は他のおうちに姉妹で引き取られたそう)で、他のネコや保護猫カフェのお客様に全く興味を示さない孤高のネコ。
保護猫カフェで「サラ」と呼ばれていたネコは、アクセントの茶色毛が印象的なので「伽羅」と名付けられました。
先住双子ネコと伽羅の初対面。
ビビりすぎて威嚇が止まらない硯と、「なになになになに?新しいお友達???」みたいな感じでケージの周りをクンクンしながら興味を示す鈍。
みんな同じ保護猫カフェ出身だけど、在籍が被ってないから本当に初対面。
ケージから伽羅が出てくると、硯は逃げ、鈍はマウントを取りに行く。
そんな二人の兄を尻目に、伽羅はご飯を黙々と食べ、家の隅で寝っ転がるくらいには堂々としていました。
なお、夜はみんなで追っかけっこでした。
そして、なんだかんだ言っても、鈍は伽羅を抱っこしているかのようにくっついて寝てました。
でも、だいたい数週間は、どったんばったんしてましたね。
子猫用の高栄養フードを食べ、すくすく以上に育つ伽羅。
あっという間に先住お兄ちゃんズを抜いてトップの大きさに。
長毛種だから一段と大きく見える。
二番手は硯、ずっと小さなお兄ちゃんの鈍はご飯を食べても大きくならない。
鈍は粗相癖も治らない、ずっと柔らかいうんちしかしない。
ちょっと気になって、譲っていただいた保護猫カフェに聞いてみたら、
◆粗相癖はなかったかな
◆うんちは生まれつき緩かったかも
とのことで、専属の獣医さんにも相談。
消化器系の医療食を食べさせたり、投薬したり。
効いたかな?っていう日と、効き目あんのこれ??っていう日と、繰り返し繰り返し。
◆先天性で胃腸が強くない可能性
というものが出てきました。
ずっと口が臭かったりもしてたので
◆循環器系のトラブル
もあったのかもしれません。
でも、そうではない日も多く、大事に至ったわけでもないので、医師の指導を継続してましたね。
あまり大きな病気もケガもなく、三匹のまま月日は過ぎていきます。
そして、我が家に新しい家族がやってきました。
その子は毛が一部にしか生えていないのです。
三匹のネコたちは驚いていました。
匂いを嗅いでも「なんだろう???」って感じ。
毛繕いしてあげたくてもほとんど毛が生えてない。
何ならずっと寝てるし。
そう、娘が生まれました。
鈍は、ママが大好きなので、「ママを取られた!」とヤンデレ化し、粗相に熱が入りました。
気を引くためにトイレ以外にうんちしちゃう。
そしてママとパパの気を引くんです。まぁ、めちゃくちゃ叱られても、ケセラセラでヤンデレな鈍には効かなかった模様です。
今までずっと寝るときはママと一緒だったのに、娘に隣を占拠させるので、その反対側に寄り添って寝ている鈍のいじらしさに枕を濡らした日もあったりなかったりしました。
硯は、家についているネコなので、ママとパパが大事にしてるなら、僕も大事にする!とばかりに、布団の周りに陣取って寝転んでました。
伽羅は、「ついに私の妹爆誕!」とばかりに、髪の毛をグルーミングしたり、ちょっと動けるようになった娘の遊び相手(というか一方的に引っ張られてるともいう)をしてくれたり。
それぞれ性格の違いが、娘への関わりにも出てましたね。
娘が立って歩けるようになった頃、鈍に異変が起きます。
ご飯もおやつも食べない。水もほとんど飲まない。
今思い返せば、腎臓病→腎不全からの脱水症状だったわけですが、緩やかに、そして確実に鈍の小さな身体を蝕んでいました。
そして、夏のある日。
家に帰ると、鈍がよろよろと歩いていました。
それは、何かを語りかけたそうで、何も言えないくらい衰弱した姿でした。
すぐに主治医に電話し、ママの帰りを待ちます。
主治医は出張中で、病院に戻り次第連絡くれるとのこと。
ママが仕事が終わったと連絡が来た時、鈍は倒れました。
息が細く、辛そうでした。
ほどなくして、走って帰ってきたママを待っていたかのように、辛そうな息を吐いて、鈍は天の国へ旅立っていきました。
この時、硯と伽羅は、二匹で寄り添って、じーっとその場を見ていました。
今思い返せば、それが自然なのだ。と言われているような気がしました。
それから2年くらい、大きなトラブルもなく月日は流れて、昨年。
急に痩せた伽羅の異変に気が付きます。鈍のことがあったから、今回は早かったと思います。
すぐに病院で検査&入院。
結果は「慢性腎臓病」
投薬と自家点滴が始まりました。
その頃、コロナ下を小ダメージで切り抜けたヒトチームでしたが、娘は少し体調を崩す機会が多く、そちらに引っ張られることが残念ながら多かったりしました。
処方薬がなくなったので伽羅は再診。
結果は数値の安定でした。
安定=治ったわけじゃない。
薬の効果効能によって症状が安定しているだけ。
そう、わかっていたはずなのに。
少しだけ警戒を緩めてしまった。
そして、三日前。
容体がおかしくなったので病院へ。
「腎不全」「尿毒症」の症状があると。
一泊二日の点滴入院で「尿が出来るか?」を確認すると。
尿が出来るならば、自家点滴も効果がある。
それが出来なければ???
その先は聞けませんでした。
退院の時。
伽羅は家に帰れることを喜んで(るように看護師さんは見えたそうです)私と一緒にタクシーで帰りました。
もう、自分の足で立つことも出来ず、目も虚ろで、呼び掛けに辛うじて返すだけ。
あの日の鈍のように、です。
家に帰りつき、主治医の先生と話したことを伝え、自宅での投薬なんかを話していると、伽羅からおしっこが出ました。
すぐにトイレに連れていきましたが、既に立てないのでトイレも出来ません。
身体を拭いてあげ、布団の上に横たわらせてあげ、声をかけました。
しかし、鳴き声が細くなり、息も細くなり、胸が動かなくなって。
伽羅も天の国に旅立ってしまいました。
娘は、大泣きしました。
「病院で入院して一生懸命治してくれてるから、帰ってきたら元気になってる」と思い込んでいたので、帰ってきたその姿を見て半べそでしたが、堰を切ったように泣きました。
ママも泣きました。
ある程度の覚悟はしていたけど、やっぱり後悔の念しかないし、あと一回は絶対にお別れがくるので、それが間違いなく辛い。と。
そして、残された硯は、伽羅が入院した日からずっと元気がなく、亡くなった日も全く何もしなかったですが、荼毘に付した後、遺骨が戻ってきてからは少しご飯を食べてくれるようになりました。
8年も一緒に居た家族がいなくなる。
そういった反応が普通なのかもしれません。
そして私は、いろいろな手続きに追われ、泣いたり叫んだりすることがありませんでした。
自分の心の整理をするために、今、こうしてブログに認めています。
鈍、天の国でも先住だからってマウント取りにいくなよ?
伽羅、天の国で鈍といっしょに寝てね。
そう、初めて会ったあの日のように、ね。