母親が死んでいた。というLINEが来たこと。
8月7日。
仕事&買い物が終わって家に帰ってLINEを見たら、久しぶりに弟から連絡が来てた。
見出し『これから、警察が来ます』
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弟のLINEを開く。
『家行ったら、おふくろが倒れてて、救急隊に死亡を確認してもらった。』
『これから、警察が来ます』
・・・意味はわかった。
けど、こんな、人生で絶対にベストスリーには入る大切なことをLINEで送って来んな!と思った私の返信。
「電話せいよ」
弟から電話来た。
『今、事情聴取されているから手短に』
第一発見者だし、そりゃそうなるか。
「(従兄妹のおばちゃん)の電話番号教えて」
『わかった、LINEする』
即、従兄妹のおばちゃんの連絡先がLINEで送られてきた。
直ぐに電話。
「(弟)から連絡があって、かくかくしかじか」
おばちゃん『あんた。何やってんの?(怒怒怒怒怒)』
いきなり怒られた。ノータイムで。
まぁ、仕方がない。長男だし。変死体で発見させちゃったし。
いろいろ話した結果
・俺はオヤジという名の、40年前に逃亡した男の「便宜上責任を取る人」としていろいろやっていることを伝える(これがまぁ、各方面にヘイトを溜める元)
・母親が死ぬ前に、従姉弟と弟と会っていて、それほど間がなく亡くなっていること
ということで、「残念だけど仕方がなかったかも」という結論になった。
次に、直近で会ってた従姉弟に電話。
内容的にはだいたい一緒。
弟が警察から帰ってきて、司法解剖が9日に決まったと連絡があった。
生前、母親が希望していた献体は、遺体の腐敗が進んでしまっていたので断念した。
9日。
待ち合わせ場所に向けて車を運転している俺の電話に、オヤジの入院先から電話。
なんでも、役所が電話してほしいとのこと。
かかってきた電話で、「もう他人みたいなもんかもしれないけど」と、母親が亡くなったことを伝えられそうなら伝えてと言っておく。
その後に役所へ電話をかけると、入院中は手当が減るから家を解約しろとのこと。
現状なんかを話しながら、あくまで俺は「便宜上の連絡が取れる人」以上のことはするつもりはないとキッパリ伝える。
待ち合わせ場所から弟と一緒に司法解剖が行われる病院へ。
司法解剖の結果を担当した先生から伺う。
死亡推定日は8月4日。死因は肺炎。
脳血管疾患や懸念していた熱中症が主原因ではないと言われる。
元々気管支喘息持ちの癖にタバコを止めない母親。それをまるっきり引き継いでいる俺。(俺は気管支喘息ほどではないが、たまにそういう感じがある)
思い返せば8月4日は、俺がオヤジの転院でいろいろ一日中走り回ってた日。
かたや、肺炎で命の火が消えそうになっている、一人ぼっちの母親。
かたや、介護タクシーで転院するオヤジと、手続きする俺。
(なお、この日せん妄が酷くてベッドの柵を引っこ抜いて頭から落っこちたと入院先からモーニングコールが来た)
そして、9日は
朝からオヤジの件で役所とドンパチし、
母親の死んだ日と原因がわかった。
こうやって、時系列に起きたことを書いていて、初めて運命を感じた。
8月14日
「あんまり入れないから、気を使わなくていいから」と親戚に言っていたにも関わらず、母親の火葬には、母親の女姉妹とその家族(=従兄弟)が駆けつけてくれた。
荼毘に付す前、装置が故障するハプニングがあったりしたが、概ね滞り無く式が済んだ。
弟は、従姉弟の車で実家に戻った。
実家には、母親と親しくしてくれた近所の方がご焼香に来てくれたそうだ。
この日は、オヤジの方は何もなかった。
運命、というものは最初からあったのかもしれないし、別れる前に顕著になったことなのかもしれない。
40年前に俺たちの前からリヤカー一つで逃亡生活を始めたオヤジ。
意味はわかったけど、理解するほど大人でもなかった俺と弟。
そして、それから成人するまで女手一つで育てることを決めた母親。
オヤジがいない家、というだけで、謂れのない誹謗中傷や陰湿なイジメもあったし、平均的な家に比べれば貧しかった時期もあった。
でも、毎日しっかり生きてきた。
グレてもおかしくない環境でも、それまでに母親が培ってきた地域の人との濃い繋がりや、母親自身の許容度が、そういったことを考えられない状況を作ってくれた。のかもしれない。
弟へのイジメが酷かった頃は、毎日のように「お前がイジメている奴の兄貴が誰か、体に教え込んでやる」という「教育的指導(肉体言語専攻)」を日夜繰り広げた。
当然そんなことをしていれば、弟をイジメていた奴の親からクレームが来るが「イジメてた奴が何を言ってる?」と母親は意に介さず。
今の世の中じゃ、俺が逮捕されて終わっちゃうよね。
それでも、ガスの元栓を開いたり、刃物を突き付けてきたりと、無理心中のお誘いは1度や2度じゃなかった。
それでも、生きてきた。
俺が高校を卒業して働き始め、毎月家に金を入れるようになると、生活も安定してきた。
なので、結婚して家を出る時に「金は毎月入れろ」という冗談を母親がカマしてきた時はどうしてくれようか?と真剣に考えた。フリをしていた。
何故か俺の歴代嫁は全員母親が好きになる。
そして、娘が欲しかった母親は、嫁を息子よりも可愛がる。
それはとても幸せな時間で、親孝行っていうほどでもないかもしれないけど、そういう気分だった。
弟は、自分自身をマザコンという。
俺よりも短い時間しか父親を知らないから、尚の事そういう傾向になっても仕方がないと思う。
だけどさ、普通に生きてきて、世話になった人に対して、無償の愛を受けた人に対して、愛情を返さないってことはなかなかないよね。
そういう広義の意味で、俺も母親に対してはそうなのかもしれない。
もう、死んでしまった母親を元に戻すことは出来ない。
「死んじゃヤダ」って、死んだことを伝えた時に泣いていた娘にも言った。
「死んじゃヤダ」って、生きている人にしか言えないんだ。
だから、もう、死んでしまったことはどうしようもないこと。
ああすればよかった、こうすればよかった。
後悔なんて、日に日に増えるよ。
でもね。
そんなことを、母親は望んでない。
意外と寂しがりやなところもあったから、覚えておいてほしい。とは思っているかもしれないけどね。
だから、こうしよう。
いままでありがとう。
おつかれさまでした。
ゆっくり休んでください。と。