usugeさんのブログ

プライベート垂れ流し案件

<昔話>クリスマスに『もう死のう』と言われた時のこと。

もういくつ寝るとお正月。
 
そんな時期に、もうなりましたね。
 
 
今日は、昔話をしようと思います。
 
 
 
当時私は、中学校3年生だったと記憶しています。
 
私の家は、母と弟の三人暮らし。
私が中学校1年生の冬、親父が失踪し、いわゆる母子家庭として生活していました。。
 
クリスマスらしからぬ普通の夕食を食べ、暇だった私は、当時の子供なら大体ハマっていたファミコンに興じておりました。
 
その時です。
お袋が突然激昂し、ファミコンを放り投げ、家を飛び出して行きました。
 
何が何だかわかるわけもなく、近所の家のドアが空いた音がしたので(実家は団地です)大方、その家に行って、一頻り愚痴を溢させていただいて帰ってくるだろう、なんて思って、再びファミコンに興じはじめました。
 
 
2,30分した頃でしょうか。
表情に力の無いお袋が帰ってくるなり、ファミコンをしている私の頭を掴んで、こう言いました。
 
 
『もう、疲れちゃったから、一緒に死のう?』
 
 
は?
何が起きた?
さっきまで一緒にご飯食べて、ちょっとテレビ見て笑ってた貴女はどこいっちゃったの?
 
 
私はファミコンを止め、お袋と向き合いました。
 
 
 
何でそう思ったの?
 
『いくら一生懸命働いても、何も変わらない。陰口は叩かれる。もう生きていても辛いだけだ』
 
そんなお袋の告白を聞いて、動揺しない子供はそうそう居ません。
続いてこう言われました。
 
『貴方達が寝ている間に、何度ガスの栓を開いたことか』
 
戸締まり用心火の用心。
団地でそんなことやっちゃったら、ウチだけの問題じゃなくなっちゃうよ?
なんてことを思えるわけもなく、ただただ心に黒くて重いものがズーンっと落ちてくる感覚でした。
 
私は、何としても生きたかった。
何故なら、死ぬに足る理由が自分には無かったから。
というとカッコイイかも知れませんが、意味がわからなかった。
これが正直なところだったでしょう。
 
 
なので、子供ながらにいろいろな提案をしてみました。
 
普通高校への進学を止めて定時制にする
◇今からでも出来るアルバイトというモノが存在するなら働く
◇ゲームは一日1時間(暇さえあればずーっとやってたし)
◇おかずのことで文句を言わない(貧しさ故のことですけど)
 
 
お袋は、キチンと向き合って話したことに満足してくれたのか、この全ての提案を
『子供のクセに生意気なこと言うな』と一笑し、それからは偶に小言を言うくらいで、
『死ぬ』
という言葉を口から発することは無くなりました。
 
 
来年70になるお袋には、『私が息子で良かった』と思ってもらえる余生を送ってもらいたい。
心からそう思います。
そのために、今、頑張らなければな、と強く思うわけです。

 
 
それでは、また。